自らを整える機会必要(河北新報「座標」2022年5月掲載)

【サイの歩きかた】 当山住職のノートです。今回は、河北新報「座標(2022年5月掲載)」に掲載されたものです。※河北新報さんに許可を頂いて掲載しております。・タイトルは河北新報さんに付けて頂いております。・新聞掲載に際し、細かな箇所が新聞用語に修正されています。

「なんでこんなことになっちゃったんでしょうねぇ」仏壇の前で自死によりご家族を亡くされた方がポツリとつぶやいた。僕が言葉を選びながら言い淀んでいると、それを遮るように「きっと故人も、なんでこんなことになっちゃったのかなぁ、と思っているかもしれませんね」と続けた。誰に向かうでもない言葉が宙ぶらりんのまま仏間に漂った。

警察庁が今年三月に発表した自殺統計によると、青森県の二〇二一年の自殺者は昨年より三十五人増え二九三人。自殺死亡率は全国ワースト一位となり、昨年からの増加幅も全国最大だった。僕もこの一年で何度か自死遺族に触れる機会があり、肌感覚で増加を感じていたし、もともと自殺率の高い県ではあるが、この一年は特に辛く厳しい生活を強いられている方が多い印象を持っていた。

数年前「布薩(ふさつ)」に関する記事に触れ興味を持った。日本には唐招提寺を開いた鑑真和上が伝えたものとされているが、ひと月に二度、満月と新月の日に仏道修行者が集い、守るべき規範「戒」と自身を照らし合わせ、お互いに自らの行動を反省し懺悔する行事を指す。宗派によっては、今も布薩会と呼ばれる儀式を通して残る寺院もあるようだが、僕には聞き慣れない言葉で新鮮に映った。

仏教の「戒」とは、主に五戒と呼ばれる①命あるものを殺さない ②他人のものを盗まない ③邪な男女関係をしない ④嘘偽りを口にしない ⑤酒を飲まない の五になる。普段の生活では完全に守ることは難しいこともあるが、戒を犯しても処罰はなく、それは僕たちが立ち戻る基点、今そこからどのくらい離れているかを確認する定規とも言える。つまり、布薩とは、対話を通じ自らを調える機会になりそうだと感じ、参加したい想いを募らせていた。

先日、オンラインで行われる布薩会の開始を知り、期待を胸に参加した。僧侶だけでなく布薩に興味を持つ方も多く集っていた。御導師の読経、「戒」に関する法話に続き、小グループに別れ、各々が順に自身の振り返りを語り、各々がそれを受け止めた。僕も深く考えず取り留めのない話をしたが、そのこぼれ落ちる言葉を聴いてもらいながら、今の自分の大事に気づき、一旦立ち止まり客観的に整理できる良い機会となった。

縦の糸はあなた、横の糸は私だとしても、会社、学校、家族、人が集まれば、その糸は複雑に折り重なっていく。時に乱れ、時に暴走し、絡み合ったまま、すっかり硬い玉になってしまったことにも気がつかずに、それでも前へ押し出されるように進んでいく。そして、ある日、プツンと切れた糸、それは僕かもしれないし、友達かもしれないが、その糸を前に残された者たちは途方に暮れる。「なんでこんなことになっちゃったんでしょうねぇ」

きっと僕たちには、月に二回、立ち止まって自身を振り返り、それを語りあえる仲間と機会が必要なのかもしれない。僕らの正気を取り戻すために。(終)