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この場所について About This Place

ぎんなんウェブ || 日蓮宗 隆光山 法永寺 || 青森県五所川原市

日蓮宗について 法永寺は日蓮宗の寺院です。

日蓮宗の基本情報

名称 宗教法人 日蓮宗にちれんしゅう
宗祖 日蓮聖人にちれんしょうにん
開宗 建長5年4月28日 (西暦1253年・鎌倉時代)
本尊 久遠実成本師釈迦牟尼佛くおんじつじょうほんししゃかむにぶつ
題目 南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう
祖山 総本山 身延山久遠寺みのぶさん くおんじ
山梨県南巨摩郡身延町身延3567
経典 妙法蓮華経みょうほうれんげきょう法華経ほけきょう
nichiren-odaimoku

宗旨しゅうし名称めいしょう

日蓮宗にちれんしゅうです。

日蓮宗にちれんしゅうひらかれたひと

日蓮聖人にちれんしょうにんです。お名前なまえがそのまま宗旨しゅうし名称めいしょうになっています。

立教開宗りっきょうかいしゅうされた時期じき

鎌倉時代かまくらじだい中期ちゅうき、建長5年(1253)4月28日です。清澄山せいちょうざん(千葉県)の旭ケ森あさひがもりで、日蓮聖人にちれんしょうにん声高こえたからかに「南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう」とお題目だいもくとなえて、天地てんち立教開宗りっきょうかいしゅう宣言せんげんされました。

御本尊ごほんぞん

久遠実成くおんじつじょう本師釈迦牟尼仏ほんししゃかむにぶつです。御本尊ごほんぞんのみこころ、おさとりの世界せかいにあらわしたのが「お曼荼羅まんだら本尊ほんぞんです。

日蓮宗にちれんしゅうのよりどころは

釈迦様しゃかさまがおきになられた最高さいこうおしえ「妙法蓮華経みょうほうれんげきょう」です。法華経ほけきょうは、すべてのものがほとけになることができるおしえであり、お釈迦しゃかさまは、いつでも、どこでも、だれでもわけへだてなくほとけにしようとはたらきかけているとうとほとけさまです。

法華経ほけきょう最高さいこうおしえである理由りゆう

釈迦しゃかさまがかされた、たくさんのおしえの中で、法華経ほけきょうのみがお釈迦しゃかさまご自身じしんさとりの真実しんじついたおしえだからです。そして、お釈迦しゃかさまはもちろん、三世さんぜ諸仏しょぶつも「妙法蓮華経みょうほうれんげきょう」をかんがために、られたのだとかされています。

とうと法華経ほけきょうとは

妙法蓮華経みょうほうれんんげきょう」(鳩摩羅什くまらじゅう訳)をりゃくして「法華経ほけきょう」といいます。法華経ほけきょうは一かん二十八しょうからっています。

その内容ないよう要約ようやくしますと前半ぜんはんの十四章(迹門しゃくもん)には、お釈迦しゃかさまはなが年月ねんげつあいだおおくの人々をみちびくために方便ほうべんの教えをいてきたが、それは正覚しょうがく一仏乗いちぶつじょう)をてもらいたいとねんずるゆえであり、この法華経ほけきょうくことによってそれは満足まんぞくされたといい、すべての人々ひとびとは、おしえのまえでは平等びょうどうであり、必ずほとけになれる(二乗作仏にじょうさぶつ)とかれています。

後半こうはんの十四章(本門ほんもん)には、覚者かくしゃとなられたお釈迦しゃかさまは、じつ永遠えいえん過去かこから永遠えいえん未来みらいいた無始無終むしむじゅうほとけ久遠実成くおんじつじょう)であることがあかかされ、から久遠くおんむかしからの弟子上行菩薩じょうぎょうぼさつをはじめとする無数むすう菩薩ぼさつに、ほとけ滅後めつご法華経ほけきょうひろめるよう付嘱ふぞくされたことがかれています。

上行菩薩じょうぎょうぼさつ日蓮聖人にちれんしょうにん

上行菩薩じょうぎょうぼさつは、末法まっぽうといわれるにごったて、お釈迦しゃかさまのご精神せいしんたいし、法華経ほけきょうをもってぎょうじる菩薩ぼさつです。ところで法華経ほけきょうには、末法まっぽうにこのきょうひろめようとすると必ず迫害はくがいう、その迫害はくがいに対して信念しんねんを曲げずに法華経ほけきょうじゅんずる覚悟かくごでこれを布教ふきょうしなければならない、とかれています。

日蓮聖人にちれんしょうにんは、法華経ほけきょうに予言されたごとくに、末法まっぽうはいった鎌倉時代かまくらじだいうまれ、法華経ほけきょうを弘めることによりいのちおよぶほどのなん何度なんどいました。法華経ほけきょうかれたみち完全かんぜんにおすすみになられたことによって、日蓮聖人にちれんしょうにん上行菩薩じょうぎょうぼさつとしてのご自覚じかくふかめられたのです。

日蓮宗にちれんしゅう信仰しんこう基本きほん

日蓮聖人にちれんしょうにんいのちがけでひろめられたお題目だいもく朝夕あさゆうとなえることが、信仰しんこう基本きほんです。ご本尊ほんぞんかって一心いっしんに「南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょう」とお題目だいもくたからかにとなえることによって、やすらぎを、また、平和へいわ世界せかいがあらわれるのです。

題目だいもく功徳くどく

法華経ほけきょうはお釈迦しゃかさまご一代いちだいおしえのなか肝心かんじんです。その法華経ほけきょうの題名「妙法蓮華経みょうほうれんげきょう」はいわばほとけたましいといえましょう。「妙法蓮華経みょうほうれんげきょう」の五字の中にほとけ功徳くどくがすべてめられているのです。わたしたちはこの「妙法蓮華経みょうほうれんげきょう」の光明こうみょうらされて、かされて成仏じょうぶつできるのです。

日蓮宗にちれんしゅうのお寺

日蓮宗にちれんしゅうのおてらは、総本山身延山久遠寺そうほんざんみのぶさんくおんじをはじめ、小湊誕生寺たんじょうじ、池上本門寺ほんもんじなど日本全国にほんぜんこく並びに世界各地せかいかくちにまで寺院じいんがあり、これらのおてら拠点きょてんとして、布教伝道ふきょうでんどうがなされています。

信仰しんこう中心ちゅうしん身延山みのぶさん(山梨県南巨摩郡身延町身延)です。宗門しゅうもん運営うんえい日蓮宗宗務院にちれんしゅうしゅうむいん(東京都大田区池上)があり、ここでは全国日蓮宗寺院ぜんこくにちれんしゅうじいん本部ほんぶとして、日蓮宗にちれんしゅう運営うんえい発展はってんをはかっています。

法永寺の歴史 1645年創立の歴史のあるお寺です。

概 略

天保2年(1645)に創立そうりつされ、開山かいさんは弘前市 本行寺ほんぎょうじ8世隆光院日淳りゅうこういんにちじゅん開基檀越かいきだんのつおか 孫右衛門まごうえもんである。奠師法縁でんしほうえん

創立時そうりつじは、『法華堂ほっけどう』としょうした。のち荒廃こうはいし、天和元年(1681)に、吉兵衛きちべい再興さいこうし、『法華庵ほっけあん』としょうした。

元禄2年(1689)に若狭小浜わかさおばま出身のおか 孫右衛門まごうえもんが弘前市 本行寺ほんぎょうじ寺号じごうを嘆願。本行寺ほんぎょうじ8世日淳にちじゅん上人の尽力じんりょくにより寺号公称じごうこうしょう認可にんか本行寺ほんぎょうじ8世日淳にちじゅん上人の院号いんごう隆光」を山号さんごうとし、おか 孫右衛門まごうえもん法号ほうごう寺号じごうとし、『隆光山りゅうこうざん 法永寺ほうえいじ』としょうした。

明和3年(1766)の明和津軽地震めいわつがるじしん本堂ほんどう庫裡くりが破壊されたが、同8年に建立こんりゅう、さらに、昭和21年(1946)大火たいかによりふたた消失しょうしつ、昭和32年(1957)都市計画としけいかくにより寺町てらまちから、現在げんざい移転いてんして新築しんちくされた(33世日浄にちじょう代)。

地震じしん等により破損はそんすすみ、このため平成7年(1995)、全面新築ぜんめんしんちく着手ちゃくしゅ、平成9年(1997)秋に完成かんせい、平成10年(1998)4月に落慶法要らっけいほうよう奉行ぶぎょうした(34世日珖にちこう代)。平成12年(2000)8月、新築事業しんちくじぎょうそうまとめ「立教開宗りっきょうかいしゅう750年慶讃けいさん 法永寺ほうえいじ 新築事業記念誌しんちくじぎょうきねんし発刊はっかん

本尊ほんぞん 勧請かんじょう 様式は1塔両尊4士、祖像そぞうは天明2年(1782)の造立で払子ほっす経巻きょうがんを持つ腰掛像こしかけぞう。ほかに等身大の鬼子母神像きしもじんぞう(33世日浄にちじょう代)、宝暦3年(1753)勧請かんじょう妙持稲荷大明神みょうじいなりだいみょうじんがある。

「立教開宗750年慶讃法永寺新築事業記念誌(平成12年8月1日発行)」
第1章 法永寺の歴史について
第1節 法永寺の草創期について
草創期については、山号寺号が公に許される前の時期であり、確かな資料もなく年代を特定することは困難である。

① 「五所川原町誌(昭和10年9月原本発行)」には、明治5年寺院明細帳に、創立、天和元年辛酉(1681年)10月開山通心院日意宗祖日蓮上人幾世の法孫と申儀不肖、また「陸奥国津軽郡大邑誌」には、天和元年辛酉(1681年)10月3日、木村莧善左衛門二男吉兵衛という者、新宮道の傍に小庵を結ぶ之を開基の初祖とす、とあり。

② 当時の記録(記録者、及び記録年月日不明)には、正保2年乙酉(1645年)に柏原村新宮道に法華堂建立、草創者不明、後廃墟とあり。

③ 当山の過去帳には、寛文5年(1665年)9月11日、加ケ谷多左衛門(家の女性)逝去、法号は華生院妙顔日成信女で、法号から篤信者であることが判る。

以上のことから、寛文5年以前には既に法華堂又は小庵があったと思量できますが、草創期についてはもう少し時間をかけて研究する必要があります。

第2節 山号寺号の公称

① 当時の記録によると、本寺である弘前本行寺まで付け届けすることが不便なため、当時柏原村に居住していた若狭国(福井県)小浜の人岡孫右衛門が、本行寺に願い出て、元禄2年(1689年)、生国が同じである孫兵衛の抱地に間口5間の庵室を建立、法永庵と称し、本行寺に滞留中の若狭国出身の通心(通心院日意)を住職とした。同年、公儀へ寺号公称を願い出てこの免許を得た。寺号公称の願い出をしてくれた本行寺第8世隆光院日淳上人の隆光を頂き、隆光山とし、岡孫右衛門の法号順妙院法永日精の法永を採り法永寺と称した。よって開山を隆光院日淳上人、第2世を通心院日意大徳とした。

② 当時の記録によると、法永庵の建立は、元禄2年の9月13日となっている。しかし、寺号公称の免許月日は不明である。

※寺報「ぎんなん」にて昭和63年8月より連載しております現・法永寺院首日珖上人による「法永寺史」は以下にまとめて掲載しております。

法永寺の伽藍・施設

法永寺ほうえいじは、昭和32年(1957)の五所川原市の都市計画としけいかくにより、寺町てらまちより、現在げんざい末広町すえひろちょう移転いてんし、新築しんちく(33世日浄にちじょう代)されましたが、地震じしん等により破損はそんすすみ、平成7年(1995)に全面新築ぜんめんしんちく着手ちゃくしゅ、平成9年(1997)秋に完成かんせい、平成10年(1998)4月に落慶法要らっけいほうよう奉行ぶぎょう(34世日珖にちこう代)しました。

等身大鬼子母尊神 毎月8・18・28、8のつく日は鬼子母尊神のご縁日です。

鬼子母神〜隆光山法永寺(青森県五所川原市)
鬼子母尊神きしもそんじんについて

法華経ほけきょう』第26章「陀羅尼品だらにほん」の中で、鬼子母神きしもじん十羅刹女じゅうらせつにょと共に、「法華経ほけきょう信仰しんこうする人を守護しゅごすること」を誓約せいやくしています。そのことから、日蓮聖人にちれんしょうにん鬼子母神きしもじん信仰しんこうされ、大曼荼羅だいまんだら勧請かんじょう、さらには、鬼子母神きしもじん十羅刹女じゅうらせつにょの関係を、ははであるとの確信かくしん次第しだいふかめられました。日蓮宗にちれんしゅうでは、鬼子母神きしもじん法華経信者ほけきょうしんじゃ守護神しゅごじんとして勧請かんじょうしています。

法永寺ほうえいじの等身大 鬼子母尊神きしもそんじんについて

五所川原市の都市計画としけいかくで昭和32年(1957)、法永寺ほうえいじ寺町てらまちより末広町すえひろちょう移転いてんすことになり、寺町てらまち境内地けいだいち北側にあった樹齢じゅれい300年以上とわれる銀杏ぎんなん大木たいぼく伐採ばっさいすることになりました。

300年以上も法永寺ほうえいじともあゆんできたですから、末代まつだいまで法永寺ほうえいじためのこしたいということで、法永寺ほうえいじ33世一道院日浄いちどういんにちじょう上人が鬼子母神きしもじん制作せいさくすることを発願ほつがんし、その制作せいさくもり 英之進えいのしん仏師に依頼いらい尊容そんよう大本山法華経寺だいほんざんほけきょうじ祈祷本尊きとうほんぞん鬼子母神きしもじんとすることとして発注はっちゅうしました。昭和32年(1957)制作資金せいさくしきん勧募かんぼ、昭和34年(1959)3月24日、開眼式かいげんしき厳修。尊像そんぞうそこには、開眼年月日かいげんねんがっぴ開眼主かいげんしゅ日浄にちじょう上人名と花押かおう、左側にもり 英之進えいのしん大仏師と銘記めいきされています。

さらに、平成9年(1997)、法永寺34世一乗院日珖いちじょういんにちこう上人の発願ほつがんによる本堂ほんどう会館かいかん庫裡くり稲荷堂いなりどう全面新築ぜんめんしんちくり、鬼子母神きしもじん御厨子おずし発注はっちゅう、本堂左側に安置あんち、そのなか鬼子母神きしもじん奉安ほうあんしました。御厨子おずし内の大尊神だいそんじんまえには、大尊神だいそんじん原型げんけいとなった総髪そうはつ合掌がっしょう立像りゅうぞう鬼形きぎょうの小型の祈祷本尊きとうほんぞん 鬼子母尊神きしもそんじん奉安ほうあんしています。

仏師 森 英之進もり えいのしんについて

仏師 もり 英之進えいのしん氏は、明治5年(1872・月日は不明)に弘前市ひろさきしに生まれ、14才で神仏彫刻家しんぶつちょうこくか 奈良なら 喜三郎きさぶろうの門に入り8年間修業しゅぎょう。その後、前田まえだ 常三郎つねさぶろう師事しじ研究けんきゅうかさ抜群ばつぐん才能さいのう発揮はっきしました。

明治34年(1901)に、五所川原ごしょがわらに移住。一般美術の彫刻ちょうこくにも精進しょうじんし、昭和4年(1929)から連続国際美術展こくさいびじゅつてん入選にゅうせんしました。剣道けんどう4だん後進こうしん指導しどうにも熱心ねっしんでした。五所川原 立佞武多たちねぶた製作せいさくにもたずさわったということですが、残念ざんねんながらそれをしめ資料しりょう見当みあたりません。しかし、立佞武多たちねぶた立体像りったいぞうには彫刻家ちょうこくか関与かんよかんることができるということです。たとえば、直接制作ちょくせつせいさくたずさわらないまでも、設計せっけいや、現場指揮げんばしきなどがあったかもれません。

法永寺ほうえいじ鬼子母神きしもじん制作せいさくした場所ばしょはどこか?と五所川原市ごしょがわらし在住ざいじゅうのおまごさんにおきしますと、おそらく市内布屋町ぬのやちょうの現東奥信用金庫とうおうしんようきんこ場所ばしょ住居じゅうきょがあったので、そこであろうということでした。おな町内ちょうない森時計屋もりとけいやさんは仏師ぶっしおとうとさんだということです。

彫刻ちょうこくした鬼子母神きしもじんを中心に、左側には法永寺総代ほうえいじそうだい 山谷やまや 満広みつひろ氏、右側には仏師ぶっしの弟 たもつ氏が写った記念写真きねんしゃしんがあります。撮影さつえいした年月日ねんがっぴ不明ふめいですが、昭和34年(1959)3月に開眼式かいげんしき厳修ごんしゅしていますから、おそらく昭和34年(1959)の1月か2月ではないかと思います。33世日浄にちじょう上人は日蓮宗大荒行堂にちれんしゅうだいあらぎょうどうに昭和33年(1958)11月に入行にゅうぎょう、第五行を成満し、出行しゅつぎょうしたのは昭和34年(1959)2月10日ですので、完成かんせいの知らせを受けて住職じゅうしょくわりに総代そうだい検分けんぶんおこなったものとおもいます。

仏師ぶっしは、昭和33年(1958)8月25日に逝去せいきょされておりますが、鬼子母神像きしもじんぞう完成後かんせいご逝去せいきょか、未完成みかんせい状況じょうきょうでの逝去せいきょ不明ふめいです。もし未完成みかんせいであったとすると、彫刻ちょうこく心得こころえのあるたもつ氏が最後さいご仕上しあげをしたかもしれません。

また、十数年前でありますが、仏壇仏具ぶつだんぶつぐのおげを依頼いらいされて、偶然ぐうぜんにもその中からもり仏師作の日蓮聖人像にちれんしょうにんぞう(立像)を発見はっけん、平成30年(2018)正月、感ずるところがあり、お厨子ずし調ととのえ、開山堂かいさんどう奉安ほうあんしております。

取子祈願とりこきがんについて

取子祈願とりこきがん(1年間)15,000円
病気びょうき事故じこなどにあわないよう鬼子母尊神様きしもそんじんさま子供こどもとしてみずからをおあずけしてご守護しゅごしていただく事を「取子とりこ」と言います。満1年間をつうじて毎朝まいあさ祈願いたします。祈願者きがんしゃには名刺型めいしがたのおまもりをおわたいたします。

縁日えんにち

毎月8日、18日、28日、8のつく日は、鬼子母尊神様きしもそんじんさまのご縁日えんにちです。このだけご開帳かいちょうしております。お気軽きがるにおまいりください。

鬼子母尊神大祭きしもそんじんたいさい

【日にち】毎年6月18日
【時 間】大祭たいさい:10:30〜/法話ほうわ
祈願料きがんりょう】1,000円(1祈願きがん)/特別祈願とくべつきがん3,000円(1尺木札きふだ授与)
祈願趣旨きがんしゅし】家内安全・商売繁盛・社運隆昌・身体健全・病気平癒・試験合格・安産福子・交通安全・その他

昭和32年(1957)、法永寺ほうえいじ寺町てらまちから現在地げんざいちに移転する際に、その境内地けいだいちにあった樹齢じゅれい300有余年の銀杏ぎんなん大木たいぼく伐採ばっさいすることになり、その大木たいぼくで作ったのが現在奉安ほうあんしております等身大とうしんだい鬼子母尊神きしもそんじん(仏師・もり 英之進えいのしん 作)です。法華経ほけきょう信仰しんこうする方、お題目だいもくとなえるかたまもります。

妙持稲荷大明神 毎月1日は妙持稲荷大明神のご縁日です。

稲荷堂〜隆光山法永寺(青森県五所川原市)
妙持稲荷大明神みょうじいなりだいみょうじんについて

法永寺ほうえいじ妙持稲荷大明神みょうじいなりだいみょうじんは、宝暦3年(1753)、京都きょうと伏見稲荷大社ふしみいなりたいしゃ愛染寺あいぜんじ」より神璽しんじを受け勧請かんじょうした霊験顕著れいけんけんちょ稲荷いなりです。法華経ほけきょう信仰しんこうし、お題目だいもくとなえるひと守護しゅごしてしいというねがい、さらには法永寺ほうえいじ寺門繁栄じもんはんえいねがって「妙持稲荷大明神みょうじいなりだいみょうじん」と名付なづけ、法永寺ほうえいじ勧請かんじょうされました。毎月1日をご縁日えんにちとし、8月1日に大祭たいさい厳修ごんしゅして今にいたります。

愛染寺あいぜんじの初代住持「天阿てんあ上人」は真言宗しんごんしゅう神照寺じんしょうじ長浜市ながはまし)で剃髪ていはつ得度とくどした方で、真言密教しんごんみっきょうによる稲荷いなり行法ぎょうほう大成たいせいした行者ぎょうじゃです。後に上人は、剃髪ていはつ得度とくどした神照寺じんしょうじの第11世住職となり、延宝2年(1674)5月15日にこの神照寺じんしょうじにおいて遷化せんげしております。

法永寺ほうえいじ愛染寺あいぜんじから神璽しんじけたのは、天阿てんあ上人が初代住持となってから120年も後のことですが、おそらくこの天阿てんあ上人の大成たいせいした仏教的稲荷ぶっきょうてきいなりけたものとおもわれます。ご神体しんたいとして荼枳尼だきに像か、あるいは、それをあらわしたおふだか、または、「稲荷社安鎮證書 本宮 愛染寺あいぜんじ」とかれた木札きふだのようなものをけたとおもわれます。しかし、法永寺ほうえいじ妙持稲荷大明神みょうじいなりだいみょうじんのご神体しんたいについては今のところ不明ふめいです。

明治元年の神仏分離しんぶつぶんりによって愛染寺あいぜんじ廃寺はいじとなり、これによって伏見稲荷大社ふしみいなりたいしゃは、仏教的稲荷ぶっきょうてきいなりえんり、完全かんぜん神道的稲荷しんとうてきいなりとなりました。したがって、現在の伏見稲荷大社ふしみいなりたいしゃ神道的稲荷しんとうてきいなりのご神体しんたい法永寺ほうえいじ妙持稲荷大明神みょうじいなりだいみょうじんのご神体しんたいことなることになります。

妙持稲荷大明神大祭みょうじいなりだいみょうじんたいさい

【日にち】毎年8月1日
【時 間】大祭たいさい:11:00〜/法話ほうわ
祈願料きがんりょう】1,000円(1祈願)
祈願趣旨きがんしゅし】家内安全・商売繁盛・社運隆昌・身体健全・病気平癒・試験合格・安産福子・交通安全・その他

※抹茶の振舞い(お菓子付き・無料)や山野草の展示があります。

法永寺ほうえいじ稲荷大明神いなりだいみょうじんは、宝暦3年(1753年)勧請かんじょう由緒ゆいしょある霊験顕著れいけんけんちょ稲荷いなりです。法華経ほけきょう信仰しんこうする方、お題目だいもくとなえる方をまもります。ご参詣さんけいされごえんむすんでいただければさいわいです。祈願申込者きがんもうしこみしゃには「妙持稲荷大明神守護札みょうじいなりだいみょうじんしゅごふだ」、お灯明とうみょう志納しのうの方には省エネ「朝顔柄うちわ」を差し上げます。

住職・院首について

第35世 法永寺住職
小山田 和正(おやまだ わしょう)(日号:日楓)

法永寺住職
社会福祉法人立正福祉会 家庭児童相談室相談員
臨床宗教師(日本臨床宗教師会認定・東北臨床宗教師会会長)
伴走型支援士(一般社団法人日本伴走型支援協会認定)
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日蓮宗法永寺住職。1970年青森県五所川原市生まれ。立正大学大学院(仏教学専攻)修士課程修了後、日蓮宗海外布教開教師として米国各地で布教活動を行い、2003年に帰国。法永寺副住職を経て、2018年より第35世法永寺住職に就任。以降、地域のお寺として、自死遺族のつどいなどをはじめ様々なつどいの場を開催しながら、相談活動や宗教的な支援を行い、お寺の外では、認定臨床宗教師として、医療や福祉の分野でも活動し講演や研修を行っている。


講演など
2020年1月12日 認知症カフェ・カフェデつえぎ 講話
2021年1月20日 令和2年度青森県地域包括支援センター職員研修 講師
2021年11月11日 五所川原市介護事業者連絡協議会研修会 講師
2021年11月12日 青森県南部町地域包括ケア「通いの場&認知症セミナー IN 南部町」講話
2021年12月25日 弘前大学男女共同参画推進室 キャリア形成の基礎 講師
2022年9月11日 認知症カフェ・カフェデつえぎ 講話
2022年12月15日 弘前大学「キャリア形成の基礎」講師
2023年10月8日 認知症カフェ・カフェデつえぎ 講話
2023年11月9日 かたるべし会 講話
2023年12月21日 弘前大学「キャリア形成の基礎」講師
2024年7月10日 平内町 ひらないカレッジ 講師
2024年7月14日 認知症カフェ・カフェデつえぎ 講話
2024年10月19日 北東北性教育研修セミナー2024講師
2024年11月7日 かたるべし会 講話
2024年11月10日 乳がん患者会ほほえみネットワーク 講師
2024年12月26日 弘前大学医学部「キャリア形成の基礎」講師
2025年1月21日 令和6年度青森県地域包括支援センター職員研修 講師
2025年2月27日 鶴田町自殺対策講演会  講話
2025年5月10日 弘前大学医学部付属病院 がん相談支援センター「がんピアサポーター研修〜傾聴について」講師
2025年7月12日 青森県立中央病院「知っておきたいグリーフケア〜患者・家族の悲嘆や苦悩への対応を学ぼう」講師
2025年9月25日「十和田市すこやか長寿を祝う会」講演
2025年11月9日(日)認知症カフェ「カフェDEつえぎ」講話
2025年11月13日(木)東青仏教会研修会「お坊さんが話を聴くことについて」講師
2025年12月16日(火)鰺ヶ沢町こころの健康づくりセミナー「つらさや悲しさを抱える人々と生きる」
2025年12月25日(木)弘前大学「キャリア形成の基礎」講師
2026年2月16日(月)「令和7年度 鶴田町自殺対策事業 自殺対策講演会」講師


法永寺院首(第34世 法永寺住職)
小山田 顕裕(おやまだ けんゆう)(日号:日珖)

昭和16年(1941年)6月生(寺町の旧法永寺にて)。昭和41年3月立正大学仏教学部仏教学科卒業。同年4月金倉圓照先生、塚本啓祥先生の推薦により東北大学大学院文学研究科印度哲学専攻の研究生となる。(律蔵安居犍度の研究)。昭和43年2月日蓮宗大荒行初行成満。同年3月法永寺副住職となる。昭和58年2月日蓮宗大荒行再々行成満。平成4年7月法永寺34世住職就任。平成9年12月法永寺全面新築事業円成(工事期間3カ年、総事業費4億3千万円)。平成23年11月藍綬褒章受章(更生保護功労)。平成24年7月青森市鶴ヶ坂に布教所「深敬庵」を開設。平成30年3月法永寺住職退任。平成30年5月法永寺院首となる(宗務総長承認)。現在、法永寺と深敬庵を往復し、原始仏典の研究と布教活動に専念。