オリーブの首飾り(陸奥新報リレーエッセイ「日々想」5月掲載分)

【サイの歩きかた】 当山住職のノートです。月1回程度、更新します。今回は、陸奥新報リレーエッセイ「日々想」5月3日掲載分のエッセイです。

「ぎゃ〜!たすけて〜!もうやめて〜!◎△$♪×¥&!!」と子どもの叫び声が黄色い屋根のテントの中から聞こえてきた。テントの中で何かとてつもなく恐ろしいことが起こっている。僕はその前で動けなくなった。大人たちはみんなテントをチラッと一瞥し、微笑みながら通り過ぎた。叫び声が止み、しばらくすると憔悴しきった小さな男の子が、姉であろう女の子に手を引きずられて中から出てきた。まるで捕獲された宇宙人である。すぐに彼らの両親は笑いながら宇宙人に駆け寄って抱き寄せた。姉はとても恥ずかしそうに、そして、わたしとこの宇宙人は赤の他人であることを装うように、本当に困った子だと大人のような仕草をした。

「不思議な家 マジックハウス」である。本当なら今年も弘前さくらまつりに出店していたはずだ。マジックと言えば、ゲレンデマジックや海マジック等、広瀬香美「ロマンスの神様」的な恋の予感を感じさせるし、そんなマジックであれば掛かりたいと願うが、「マジックハウス」の「マジック」は明らかにそれとは別の種類のマジックだろう。白魔術でも黒魔術でもなく、黄色い魔術をとの思いでイエロー・マジック・オーケストラというバンド名が生まれたという話を聞いたことがあるが、「マジックハウス」の「マジック」はきっとこっちの意味に近い。しかもテントの屋根は黄色である。僕はその時、僕とそれほど変わらない歳の男の子が、狭い室内で黄色い魔術を掛けられ体験した恐ろしい出来事を想像しながら震えていた。そして、両親が僕に「ここ入ってみようか?」と言わないことを祈った。

マジックハウスは「回転部屋」とも呼ばれる。入口でお金を払うと、テントの中に案内される。室内には小さな長椅子があり、そこに腰掛けてしばらくすると、椅子はそのまま、部屋の壁が回転し始める。だんだん平衡感覚を失い、錯覚に陥り、まるで自分がグルグル回っているように感じるアトラクションだ。一旦、ここに足を踏み入れると、その魔術から逃れるのは不可能のように思える。修行を重ねた高僧は「部屋が動くのでも椅子が動くのでもなく、お前の心が動いているのだ」と言うだろう。しかし、マジックハウスは、仕事熱心なおっさんが仕事として間違いなく壁を回転させているのだ。きっと「オリーブの首飾り」を口ずさんでいる。そう、僕たちはおっさんの掌の上で転がされている。

僕たちは突然に家にいることになった。TVを見る時間も、SNSをチェックする機会も多くなった。僕たちは家にいる。なのに、世界はグルグルと凄い速さで回り変化し続け、止まることを知らない。僕たちは家にいる。されど、僕たちの心は平衡感覚を失い「たすけて〜!もうやめて〜!」と叫びながら、仕事熱心なおっさんが口ずさむ「オリーブの首飾り」が終わるのを祈り続けている。きっと大丈夫。外には桜の花びら散る中、僕たちが出てくるのをいつまでも温かく待ち続けている誰かがいるはずだ。

(陸奥新報リレーエッセイ「日々想」5月3日掲載)
※2020年4月〜9月まで、第1日曜日発行の陸奥新報朝刊に住職のエッセイが掲載されます。