うしろ向きに歩く(陸奥新報リレーエッセイ「日々想」4月掲載分)

【サイの歩きかた】 当山住職のノートです。月1回程度、更新します。今回は、陸奥新報リレーエッセイ「日々想」4月5日掲載分のエッセイです。

早春、朝、お寺の門の前をうしろ向きに歩く女性が横切った。彼女が門柱の左側から現れて、正面を横切り、右側の門柱に隠れるまでは一瞬のことだった。マイケル・ジャクソンがムーンウォークを初めて披露したのは83年の名曲「ビリー・ジーン」だ。彼女のそれは、キング・オブ・ポップの、前に歩いているように見えるでしょ?でも実は後ろ向きに進んでいました!なんてものではなく、まして月面を浮足で歩いているようなスムーズさもない。彼女はまぎれもなくこの地球の表面を一歩一歩踏みしめながら、実に堂々と、後ろ向きに、ただ歩いていた。

「いやぁ、向かいの〇〇さんね、びっくりしちゃったよ!」と妻にそのことを話すと、特段驚くでもなく「あぁ、なんかの健康法らしいよ。朝市まで行くんだって。」とそっけない答えが返ってきた。こんな時、人は皆、謎は謎のままであって欲しいと願うし、UFOしかり、UMAしかり、謎のままだからこそ面白いものもあるのだが、あっけなく真相が明らかになり、急につまらなくなってしまった。早速、ネットで検索すると「後ろ向き歩き健康法」と呼ばれる健康法がヒットした。普段使わない筋肉を刺激することによって、脂肪を減らし、美しいボディラインを作り出し、歪んだ身体のバランスを整え、さらには脳の活性化にも効くと紹介されていた。

『未来はあなたの前にあるのでしょうか?それとも後ろにあるのでしょうか?』で始まる佐々木俊尚著『時間とテクノロジー〜「因果の物語」から「共時の物語へ」』は、全てがデータ化され、クラウドで保管され、経年による劣化がなくなった今、僕たちの時間感覚はどうなっていくのかという内容だった。書籍の中に「未来は後ろにあって、過去が前にある」という感覚を持つ米国先住民族の話が出てくる。はっ?とビックリしてしまうのだが「過去は終わったことだから眼に見えるでしょ?未来はまだ起きてないから見えないよね?だから、顔を向けている前方が過去で、背中が未来じゃない?」と言われると、僕が頑なに信じてきた時間感覚は音を立てて崩れていく。全くその通り、僕も、世界じゅうの人も、みんな、みんな、見えない明日に向かって、うしろ向きに歩いている。

早春、朝、お寺の門の前をうしろ向きに歩く女性が横切った。すぐにランドセルを背負った小学生たちが口々にふざけ合いながら次々に通り過ぎた。みんなうしろ向きに歩いていた。地味なネクタイを締めた紳士が急ぎ足で通り過ぎた。うしろ向きで歩いていた。ジャックラッセルテリアと散歩するおばさんが通り過ぎた。うしろ向きで歩いていた。みんな未来のことなんか見えていない。みんなが自分自身の一歩一歩にちょっとした不安を抱えながら、それでも何かを信じて足を踏み出し続けている。その一歩一歩は実に堂々と確信に満ちているようだ。そう考えると、僕は世界じゅうのすべての人、一人一人をこの上なく愛おしく感じる。

(陸奥新報リレーエッセイ「日々想」4月5日掲載)
※2020年4月〜9月まで、第1日曜日発行の陸奥新報朝刊に住職のエッセイが掲載されます。