心がポッキリ折れる(陸奥新報リレーエッセイ「日々想」9月掲載分 最終回)

【サイの歩きかた】 当山住職のノートです。月1回程度、更新します。今回は、陸奥新報リレーエッセイ「日々想」9月6日掲載分(最終回)のエッセイです。

首相辞任の号外が配布された日、朝からとても暑かった。それと全く関係なく、早朝の電話で忙しくないはずの日が急に仕事で埋まった。なんとか苦しい暑さを耐え抜いたが、夕方、弘前まで行く用事があった。用事が早く済み、約束していた夕食まで少し時間が空いたのでチューブレーンで時間を潰した。そこで妻からまた仕事の知らせを受けた。約束の夕食も明日から続く仕事のことを考えていた。帰路、車で工藤祐次郎を聴いていて、ふと僕の心はポッキリ折れてしまった。なんだこれは?

その兆候は、少し前からあった。同時に様々な事を考え、決断し、行動しなければならない日が長く続いている。お盆が過ぎても変わらずその状態が続き、うだる暑さも終わらない。注意が散漫で、失敗が多くなった。失敗が多く、考え込むから、失敗を重ねる。モノ忘れが多くなった。いや、全く思い出せないから、既にモノ忘れでもない。そんな状態で、締切もとうに過ぎた深夜にこのエッセイを書いている。

長く地味にやってきたことが、今年に入って急にたくさんのメディアに取り上げられるようになった。

僕が代表を務める東日本大震災津波遺児チャリティ「tovo」では、三月に活動が本紙で取り上げられたことから始まり、四月にはアマビエの日本酒が県内各紙やテレビでも報道され、五月にはtovoで展開したコロナ禍の関係各店へのインタビューコーナーが取り上げられた。続いて七月、フリーペーパーが100号を迎え終刊したことが各紙で取り上げられ、クラウドファンディングが始まり、フリーペーパーの代わりとして始めた配信動画番組も様々な媒体で紹介された。

僕は、認定臨床宗教師という肩書きも持っている。聞き慣れない肩書きなのでご存知のない方が多いかもれない。たまたま県内で唯一だったこともあり、こちらの活動も各紙で取り上げられ、今もご相談を頂くし、現在も取材が続いている。

これらのことが同時期に取り上げられたことにより、お寺関係の媒体に紹介される機会も多くなった。先日は「お寺のソーシャルデザイン」なんて、今まで考えもしなかったお題を頂き、お話をさせて頂く機会も与えられた。

更に僕にはデザインの仕事もある。なかなか時間が作れず、あまり新規で受けることはないけれど、どんなタイミングでも十年以上も関係が続いているクライアントからの依頼を断ることは難しい。

本業であるお寺の仕事をしながら、これらを続けていると、自分でも自分が一体何者なのかよく分からなくなる。ただ、これらは、どれだけ自分を空っぽにするかが評価される仕事であるという点において、僕の中では一貫している。空っぽにしなければならない時に、「私」を出すから心がポッキリ折れる。「私」を捨てる為、ほんとうの空っぽ野郎になる為に、これらを続けているんじゃないかとさえ思う。僕はほんとうの空っぽ野郎になりたい。そして、空になるのだ。(終)

(陸奥新報リレーエッセイ「日々想」9月6日掲載 最終回)
※2020年4月〜9月まで、第1日曜日発行の陸奥新報朝刊に住職のエッセイが掲載されます。