【日蓮聖人が遺した言葉】日蓮は安房の国方海の海人が子なり

日蓮聖人が遺した言葉

日蓮は
安房の国方海(かたうみ)の
海人(あま)が子なり

『本尊問答抄』/弘安元年(1278) 聖寿57歳

解説

ー宗祖ご降誕によせてー

「この紋所が目に入らぬか。ここにおわすをどなたと心得る」。
ご存知水戸黄門の決め台詞です。その黄門さまは日蓮宗に縁が深く、母の菩提を弔うために水戸に久昌寺を建てられました。
ところで黄門さまご自身のお誕生日にこんな逸話があります。家臣が祝いの日として豪勢な膳を用意したところそれを止め、白粥と梅干し1つにされました。その理由を「せめて今日1日を粗食とせしは、母上が我れを産みし折の苦しみを終生忘れぬためである」と語ったというこです。
誕生日は祝福されるだけの日ではなく、両親をはじめ周囲の人びとへの報恩の日でもあることを忘れてはならないのです。
さて表題のように日蓮聖人は現在の千葉県鴨川市小湊に漁師の子としてお生まれになりました。2月16日には、聖人ご誕生800年を迎えます。しかしそのご生涯はご苦難の連続でした。それはなぜか。ひとえに自分をこの世に送り出し育んで下さった父母、そして縁ある人びとを成仏に導くため。それがご自身の誕生への報恩行だったのです。

『本尊問答抄』 弘安元年(1278) 聖寿57歳

〜日蓮宗ポータルサイト「今月の聖語」より