【今月の(仏教)書】「お迎え」体験[著]河原正典

【今月の(仏教)書】住職が月1回、棚からひとつかみ、比較的読みやすく、比較的安価で、地方の本屋でも手に入りやすいような「(仏教?)書」を紹介します。住職読了後は、「ぎんなん文庫」へ寄贈しておりますので、どうぞご利用ください。

「お迎え」体験

(2020年4月24日 第1刷発行/発行所:株式会社宝島社/定価880円+税)

[著] 河原正典(かわはら まさのり)
1972年愛知県名古屋市出身。福島県立医科大学、同大学院を経て外科医に。2008年、岡部健(故人)が設立した岡部医院に入り、在宅緩和ケアの普及につとめ、2012年に死去した岡部健の主治医をつとめた。現在、岡部医院仙台院長。

たまに、ご遺族の方から「故人が亡くなる前、故人の親しい人(ご両親であったり、夫であったり、兄弟であったり)を見たと言っていたので、きっと迎えにきてたのかもしれないですね。」という話を伺うことがある。これを「お迎え」体験という。その「お迎え」体験を私に教えてくれるご遺族の方は決して多くはないけれども、ご遺族の方はそれを奇怪な体験としてではなく、温かな不思議な体験として、とても親しみを込めて話すし、私自身もなんとなく、まぁそういうこともあるだろうと、至極当たり前のことと受け止めているので特段驚きもしない。

しかし、この「お迎え」体験は、本当に当たり前のことなんだろうか? 一体どのくらいの人が、具体的にどのような体験をしているんだろう? という疑問が生まれてくる。

「お迎え」という不思議体験に注目したのは、在宅緩和ケアのパイオニアとして知られる岡部医院の岡部健医師(臨床宗教師の生みの親でもある。)である。「在宅医として死を看取る仕事をやるなら、『お迎え』体験を「せん妄(※意識障害が起こって頭が混乱した状態)」と決めつけず、こうした現象にも目を向けなければならない。」として、この「お迎え」を記録しはじめた。その記録は、死生学の研究の場「タナトロジー研究会」の発足、さらに数字をベースとした調査へと発展。医療者、社会学者などの専門家が加わり、2002年、2007年、20011年、2015年と4回にわたり調査が行われ、その結果を体系的に報告してくれているのが本書である。

本書で紹介されている『お迎え』体験の数々は、ちょっとイイ話、泣ける話、感動する話などはない。ひたすら現実的で、淡々とした体験や言葉が並ぶし、それを総括して語ることもしない。つまり、挙げられている数だけ、それぞれの『お迎え』体験があり、それぞれの死がある。ただそれだけである。ただそれだけであるからこそ、他人ではない1人の「私」にとっての死とは何か?を突きつけられる。他人に右ならえで何とかなってきた「私」の人生も、死ぬ時は右ならえが通用しない。「私」は死ぬ直前に何を見るのだろうかーーーー。

人の寿命は無常なり
出る気は入る気を待つ事なし
風の前の露尚譬えにあらず
かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり
されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし

日蓮聖人御遺文「妙法尼御前御返事」/弘安元年(一二七八年 聖寿五十七歳)