法永寺史《その三十四》〜当山三十世唯常院日謙上人について〜 法永寺院首日珖・記(寺報ぎんなん/平成31年3月6日号掲載)
今回は、当山三十世唯常院日謙上人について述べたいと思います。
法永寺の全面新築が成った五年後頃(平成十五年頃)からだったと思いますが、境内墓地の南西隅にある古い墓石や記念碑等を気儘にポツポツと調べ始めました。
その時、表面に三十世唯常院日顕上人と刻字した小さな供養碑を発見しました。左側には、須藤観了四十四歳 明治二十五年旧六月八日亡と、裏面には、大正十三年旧六月八日三十三回忌 秋田県鹿角郡大湯赤川 成田顕光 建立、と刻字してありました。
早速当山の過去帳で調べましたところ、日顕上人について「明治二十五年四月二十日、秋田県毛馬村本光院より入山」とありました。過去帳には、姓名については記されておりませんでしたが、この石碑には須藤観了、四十四歳とありますのでこの通りであろうと思います。
また過去帳には、「明治二十五年六月八日四十四歳にして化」と記されていますが、これは石碑と一致しております。日謙上人の法永寺の住職歴は一ヶ月十八日に過ぎません。病気だったのでしょうか、それとも不慮の事故だったのでしょうか?記録がありませんので詳細不明です。
日謙上人は本光院より入山したことになっておりますので、詳しく知るために本光院を訪ねることにしました。現在の本光院の住所は、秋田県鹿角市十和田毛馬内字毛馬内五十一番地となっております。訪ねたのは平成十六年五月だったと思います。
住職は斉藤淳明上人でした。本光院の過去帳を拝見しますと、日謙上人は、本光院の二十一世で姓名は須郷観了となっています。法永寺の供養碑では、須藤観了となっていますので「郷」が正しいのか「藤」が正しいのか不明です。住職に聞いても判らないということでした。
供養主の成田謙光氏についてはご子孫にお会いすることができました。
成田謙光氏は昭和三十六年三月十九日、行年七十八歳で逝去。戒名は「積徳院法謙日光居士」という立派な戒名でした。
謙光氏の長男忠義氏は五十九歳で逝去(逝去年月不明)したということです。謙光氏には子供が八人あり、現在女性四人が健在ということです。忠義氏の住所は、鹿角市十和田大湯で、現在奥様ご家族様がお住まいになっております。
謙光氏と日謙上人との関係については住職に聞きましてもご子孫に聞きましても詳細不明です。故ご長男の嫁さん成田ミエさんの話によりますと、謙光氏は四歳から十六歳まで本光院に居住し坊さんになるための修行をしたが途中で止めて実家に帰り農業に携わったということです。
日謙上人と謙光氏の誕生年は、計算に間違いがなければそれぞれ嘉永二年(一八四九)、明治十七年(一八八四)となります。
従って、日謙上人が本光院から法永寺に入山する明治二十五年(一八九二)四月は、謙光氏が数え歳の九歳で、本光院を離れるまでは、本光院の日謙上人の許で修行をしていたということになります。さらに、十六歳ぐらいまで居たということですから、法永寺の供養碑は日謙上人へのご報恩のためだったことが判ります。因みに供養碑建立時の謙光氏の年齢は数え歳の四十一歳でした。
