法永寺史《その二十五》〜現在の寺町は、昔は法永寺町だった 法永寺院首日珖・記(寺報ぎんなん/平成26年3月8日号掲載)
前回は寺町から現在地に移転した時の現在地の状況を述べました。今回は字数の制限もありますので話を前に戻して寺町という町名について簡単に触れてみたいと思います。「寺がないのに何故寺町というのですか」と質問した方がおられました。私は、「ああそれは、法永寺があったからですよ」と答えるようにしています。
「他のお寺もあったのでしょうね?」「いや、法永寺一か寺だけです。」「それでは法永寺一か寺のために付けられた町名のようなものではないですか?」「まあ、そのようなものです。」現在の寺町は、明治初年頃には、法永寺町、法永寺通り、法華寺町、と呼ばれていたようです。(角川地名大辞典・青森県) 尤もなことです。元禄二年(一六八九年)には既にその地に法永寺があったわけですから、その当時から恐らくその辺りが法永寺通りとか法永寺に因んだ名前で呼ばれていたに相違ありません。
因みに明治初年の他の寺の住所を調べて見ますと、龍泉寺は喰川村蝉ノ羽に、玄光寺は平井村鶴野に、願昌寺は喰川村蝉ノ羽に在りました。寺名が地名になったのは法永寺だけです。寺町は、紛れもない「法永寺町」だったのです。それにもう一つ、旧市内の寺院で一番歴史の古いのは法永寺なのです。
