法永寺史《その二十九》~日本海中部地震について~ 法永寺院首日珖・記(寺報ぎんなん/平成28年3月8日号掲載)
法永寺全面新築計画を考える遠縁となったのは間違い無く日本海中部地震でした。
この地震は昭和五十八年五月二十六日正午に突然大地を揺るがしたのです。慌てて外に飛び出しました。本堂・二階建ての大広間そして庫裏が左右(南北)にグラグラと揺れていました。
私は一瞬「これはもうだめだ。潰れてしまう。」と思いました。両親の驚きと慌て様は筆舌し難いものでした。母は本堂に向かってお題目を唱えておりました。慌ててもどうしょうもないことで、もうなす術はないのです。ただ出来ることと言えばお題目を唱えることだけでした。
墓はバタバタと倒れ、山門はグラグラと揺れています。揺れ動いた時間はほんの数分だろうと思いますが、長い時間続いたように感じました。倒れた墓は十五基程でした。山門も簡易な古いものでしたので扉は外れ門柱の基礎部分も緩んでしまいました。本堂内は、幸いに人天蓋の落下は免れましたが、灯籠は台より落ち頭の部分は遠くに飛ばされていました。須弥壇上の仏像も倒れ欠落したものもありました。
幸いにも日蓮聖人の御木像は無傷でした。本堂左側の二階の大広間は悲惨なものでした。障子戸は、倒れたものも倒れないものも障子紙は全て破れておりました。欄間は落ち、床の間の棚も落ちていました。十枚程ある廊下のガラス戸の半数は二階から落下し壊れてしまいました。戸袋は辛うじて落下を免れましたが、必死にしがみついているような格好で危険な状態でした。
庫裏の二階、私の部屋は、書棚は全て倒れ、法衣タンスも、飾り棚も倒れ記念のガラス製品は粉々になり足の踏み場もないような状況でした。揺れは南北に強く揺れたようで、東西に面した食器棚は倒れず難を免れました。物は壊れましたが、寺族一同怪我をせずに済んだことは有難く神仏に感謝するところであります。
この地震は、報道によると十一時五十九分五十七秒に秋田県能代市西方沖八十キロメートル、深さ十四キロメートルで発生したマグネチュード七、七の逆断層型地震だということです。五所川原付近は震度五弱でした。
この地震で死亡したのは全国で一〇七名、そのうち津波による犠牲者は百名で、青森県の津波の犠牲者は十七名、その内九名が十三湊での犠牲者でした。十メートルを超える津波が押し寄せたということです。紙数の関係で続きは次号に譲ります。
