法永寺史《その三十七》〜師父(三十三世日淨上人)の誕生の地を訪ねて・・その一〜 法永寺院首日珖・記(寺報ぎんなん/令和2年6月5日号掲載)
師父、祖母、曽祖母については、法永寺史〈その三十五〉で簡単に触れましたが、調べているうちに師父の本籍地を訪ねて、その地に立ってみたいなと思うようになりました。
私の母「すゑ」は大正八年十月十八日、青森県中津軽郡新和村大字三和字川合十番地で父利吉、母さよの四女として出生しました。実家は大規模なりんご農家で、小中学生ごろまでは、母に連れられて何度も遊びに行ったことがあります。長男は利一郎で父母亡き後は戸主となりました。地元小学校の校長を務め、利一郎の長男も教員で、弘前高校の教諭を務めました。また母の弟も弘前高校の教諭を務めました。私は、弘前の叔父伯母の家から弘前高校に通学しました。実家親類との思い出はいろいろありますが、今回は省略させていただきます。
さて、函館の師父の実家(本籍地)についてでありますが、祖母トクが、師父と師父の姉を連れて、法永寺三十二世樋口鳳淳上人に嫁いできました。曽祖母トヨも共に五所川原に引越しして来ましたので、函館にはもう実家が無くなったということもあったかもしれませんが、子供の頃から成人するまで一度も函館の師父誕生に地には連れて行ってもらったことがありません。そういうこともあり、私自身健康で歩けるうちに、その本籍地を訪ね、この目で見、記録しておきたいと思った訳です。
さて、その本籍地ですが、戸籍簿を見ると、北海道函館市天神町十九番地で、父は小山田正治郎、母はトクで、師父は、大正二年六月二十二日、この地で、長男(四歳上の姉もあり)として出生しました。吉田正治郎は、本籍地は京都府京都市下京区室町通三条下烏帽子屋町五〇二番地で、同町二十九番地でガラス工場を経営する吉田又四郎、母「志よう」の次男として、明治十年十一月三十日出生。海員として函館市天神町一二七番地に住んでいました。
「トク」は、母「トヨ」の長女として、明治二十年十月二十四日出生、後に「トヨ」は娘「トク」を連れて函館市天神町十九番地の戸主小山田次郎に嫁ぎました。吉田正治郎は、縁があり、小山田次郎の養女「トク」の婿となり小山田と改姓しました。曽祖母トヨの話では、次郎は北海でのラッコ獲りを生業としていたということです。正治郎は海員でしたし、次郎はラッコ獲りでしたので、どこかに接点があったのだと思います。正治郎は、大正三年二月十四日航海中の海難事故で逝去、行年三十八歳でした。師父生後八ヶ月のことです。とにかく師父の本籍地天神町十九番地と正治郎の元の住所天神町一二七番地(祖父次郎の住所も一時的かどうか判りませんが婿養子婚姻届では戸主平民、海員、天神町一二七番地?となっております。)の現在の場所を探すことから始めることにしました。
まずは、函館市役所に行き、昔の町名番地は、現在の何処かを調べなければなりません。昔、祖母や母から聞いたことをメモしたものや戸籍資料を基に大雑把なレジメを作り、それをもって函館市役所へ行くことにしました。私と違った目線で物を見、また忘れ物を探すのも上手なので妻に同行してもらうことにしました。新幹線には何度も乗っているので、時間はかかりますが津軽海峡フェリーで行くことにしました。昔の連絡船の雑魚寝の部屋もありますが、ビューシートですと船の先頭のリクライニングシートを利用できますので、三時間四十分の航行でもそんなに退屈せずに済みます。
昨年六月初めに、資料作成等の準備が整ったので、調査のためフェリーで出発しました。フェリーを私は車なしの単なる乗船客として利用しています。昔の経験からいうと、フェリーボートの自動車の乗船口から、恐る恐る隅っこの方を誘導員の指示にしたがって乗船、細い急な階段を昇って休憩室まで行くのですが、最近のフェリーはボーディングブリッジを利用できるので便利になりました。フェリーは、時間はかかるが料金が安く快適というところがメリットでしょう。これからも、函館行きはこのフェリーを利用しょうかと思っています。
函館フェリーターミナルから函館駅まではタクシーで十五分ぐらいバスだと二十五分ぐらいです。市役所は駅から歩いて十分ぐらいのところですので、駅のロッカーに荷物を預かり、午後二時半ごろ市役所へ行きました。
函館市天神町は昭和四十年七月一日から弥生町という町名に変更されたそうですが、市役所では天神町十九番地は現在の何処になるのか、また天神町百二十七番地は現在の何処になるのかを親切に時間をかけて調べてくれました。
それによりますと天神町十九番地は、現在の弥生町十四番地二号に当たるということ、天神町一二七番地は、現在の弥生町十番地七号に当たるということです。さらに住宅地図でその場所を示してくれました。これにより地図上ではありますが、師父の本籍地が判明しました。親切に応対してくれた戸籍係の職員に感謝申し上げます。
後は現地へ行き実際の場所をこの足で踏むだけです。現地に行くのは明日にし、ゆっくり調査することにいたしました。本籍地のみならず師父の通学した学校や、在学中にアルバイトをした日魯漁業等についても調べてみたいと思いました。次回に弥生町の実地調査等々についてご報告いたします。
