法永寺史《その三十九》〜師父(三十三世日淨上人)の誕生の地を訪ねて・・その三〜 法永寺院首日珖・記(寺報ぎんなん/令和2年11月1日号掲載)
前回の調査は令和元年六月でした。今回は、師父が若い時にアルバイトをした日魯漁業について、及び小学校、工業学校について調査しようと、同年九月二十五日、妻と共に、青森フェリーターミナル午前十時発のフェリー「ブルーハピネス」で函館へと出発しました。ゆっくりくつろげるビューシートを利用しました。午後一時四十分に函館フェリーターミナルに到着。バスで函館駅へ。駅のロッカーに荷物を預かり、前もってネットで調べておいた弥生小学校へ。少し遠回りになるのですが、電車で終点「函館ドック前」まで行き、そこから前回調査した師父の生家や祖父(吉田)の家を再度確認し、弥生町通りを東に進み、前回お世話になった町内会長宅へ立ち寄り、お礼の挨拶をして、東方の弥生坂に向かいました。弥生坂の十字路を下った右側が弥生小学校で、老朽化のため、平成二十二年に旧校舎を解体し、平成二十四年に竣工したという鉄筋コンクリート四階建てのモダンな立派な学校です。(昭和十三年十二月竣工した小学校を再現したレプリカ建築です。現在、函館市景観形成指定建造物になっております。)明治十五年四月公立小学弥生校として開校する前は、「天神学校」という名前だったということです。師父はこの弥生小学校に通学し卒業したことになります。
ホテルのチエックインまではまだ時間があるので、「函館工業教育発祥の地」の石碑があるという青柳小学校へ行くことにしました。徒歩で弥生坂を下って、市電の大町電停から十字街まで行き、そこから谷地頭行きの電車に乗り青柳町電停で降り、徒歩三分ぐらいで青柳小学校に着きました。鉄筋コンクリート白亜の三階建で趣のある立派な小学校です。昭和十年竣工ということですが老朽の感じはありません。敷地の函館公園側の方に「函館工業教育発祥の地」の石碑がありました。石碑には「明治四十年八月の函館大火後、函館の復興と地域の工業の発展を促進するため、明治四十四年二月四日函館区会において函館区立工業補修学校の設置を可決し、同年五月十五日この地(旧青柳町四十九番地)にあった旧住吉小学校校舎を仮寓として開校したのが函館における工業教育の濫觴であります。この碑は昭和十一年十一月六日工業教育創始二十五周年を記念して、二十五周年会が建設したものであります。」と記されています。師父はこの工業学校の定時制に通学していたと思います。今日はこれで終了し駅近くのホテルに一泊。
二十六日、ホテルで朝食後、チエックアウト。先ずは函館駅へ。ロッカーに荷物を預かり調査に出発。前もって調べておいたことですが、日魯漁業はその前身が堤商会で、大正八年に堤商会が極東漁業に改組し、その後他社との合併等を経て、大正十年に本社を東京に置く日魯漁業株式会社が誕生したということです。工場等の施設は移転してしまったようですが、函館朝市近くの大手町には、社屋(ニチロビルディング)が現在も残っており、一階がレストランになっております。また、日魯漁業の前進である堤商会の建物(旧堤商会事務所・大正五年築、函館市景観形成指定建造物)も、弁天町に残っているということです。
ニチロビルディングについては駅近くに在り、一階のレストランで食事したこともあるので知っております。一隅に日魯漁業に関する書籍資料等があります。依ってここは省略し、旧堤商会の建物を見学することにしました。駅前から市電に乗り、大町で下車、函館ドックの方に五分程進み、そこから海手の方に歩いて行くと弁天町になります。青い建物だということは調査済みでしたので、難なく見つけることができました。木造三階建で、全体が青色のシックな洒落た建物で、古びた横長の看板には「日用雑貨諸道具類販売 佐藤商会」と書かれていました。一階は喫茶店になっていましたので、ここで、コーヒータイムをすることにしました。ここは、旧堤商会の事務所だったということですが、内部は改装され、お洒落で、コーヒーも、ケーキも美味でした。当時の日魯漁業は、「ウチの娘を嫁にやるなら日魯の社員に・・」という言葉が流行るほど給料の良かった会社だったそうです。師父は、日魯漁業でアルバイトしながら工業学校の夜間部に通っていたということです。
これまで、小学校、(中学校については不明)、工業学校、日魯漁業等について調べてきました。今後、曽祖母と実行寺の関係についても調べたいと思っておりますが、新型コロナウイルスの関係もあり、一応ここで筆を置くことにいたします。まだまだ不明なところもありますが、何か発見がありましたら、その都度、記して行きたいと思います。(法永寺院首日珖・記)
