法永寺史《その三十一》〜法永寺の梵鐘について(1)〜 法永寺院首日珖・記(寺報ぎんなん/平成29年6月5日号掲載)
飛嶋恒巳様(平成二十八年六月逝去)が、平成二十七年お盆、お墓参りの折に、「法永寺の梵鐘を鋳造した時の記念の盃だと思いますが・・」と陶器製の盃を持ってきました。法永寺の梵鐘は、昭和初期の写真では見ることができますが、現物は残っておりません。梵鐘については以前から調べておかなければならないと思っていましたので、思いもかけない資料が天から降ってきたような地から湧いてきたようなそんな気がしました。
その盃は直径七センチの金色に縁取りされた白い磁器製で、内側上部に青空を背景にした白い桜の花が一輪描かれていて、文字は全て金色で、上部には右から「大正十年」、真ん中には縦に「梵鐘記念」、右側には「法永寺」、左側には「施主 敦勝商店」、下側には右から「仏壇商」と書かれています。最初から桐の箱に入っていたのかどうかは知りませんが、飛嶋様がもってきた盃は桐箱入りでした。非常に大切にされているような様子でしたので、文字を記録し、写真をとらせていただいてお返ししました。
昭和初期には梵鐘も鐘楼堂も確かにありました。写真に記録されておりますので間違いありません。ただ写真では梵鐘の銘文までは確認できませんので、銘文については今のところ不明です。
さて、盃に大正十年「梵鐘記念」と記されてありましたので、「梵鐘記念」とは梵鐘鋳造のことなのかどうかを知りたいと思い、大正十年の新聞を調べることにしました。月日は不明でしたが、もしも鋳造だとすると冬季ではないだろうということで、四月から十月までに絞って調べました。小さな寺の一行事ですから記事にはならないかもしれないという不安もありましたが、調べるだけ調べてみようということにしました。
弘前図書館でまず東奥日報を調べました。時間的なこともあり二日間大雑把に調べた訳ですが記事は見つかりませんでした。次の日もまた午前中に三月や十一月の新聞も調べましたがみつかりませんでした。もうダメかなと諦めかけていたとき、調査室の方(福井氏)に声をかけられ事情を話したところ調査に協力しましょうと励ましてくれました。
その二日後に「記事を見つけました」という電話をいただきました。東奥日報にはやはり記事はありませんでしたが、ローカルな「弘前新聞(大正十年八月六日号)」に記事があったということでした。そして翌日にその新聞のコピーを送って下さいました。公的な機関のプロフェッショナルにもこのような親切な人がいるということは想像もつかなかったことで大変うれしく感謝の念で一杯でした。
その記事は「五所川原法永寺 梵鐘撞始め」という見出しで僅か八行ぐらいの内容でした。しかし、そこには「馬場に於いて梵鐘改鋳」という重要なことが書かれておりました。
馬場とはどこか、改鋳とはどういうことか、次回にこの記事について詳しく述べたいと思います。また金属回収令等についても触れたいと思います。最後になりましたが、恒巳様の四十九日忌法要の折に奥様がこの盃を寄進して下さいました。この善業をここに記し、その厚志に深甚の感謝を申し上げたいと存じます。
