法永寺史《その三十五》~法永寺史を記述していて、いろいろと思うこと~ 法永寺院首日珖・記(寺報ぎんなん/令和1年8月3日号掲載)
法永寺歴代上人について今まで述べて参りましたが、何よりも大変なのは史料がないということです。当山にあるのは過去帳のみで、それも一人二、三行という簡単なものです。こういう状態ですから、三十世以前の歴代上人(三十世については、「法永寺史 その三十四」で述べました。)について詳しいことは不明ということになります。
三十二世(樋口鳳淳•慈妙院日侃上人・昭和二十四年三月遷化・世寿五十六歳)については、師父の義父ではありますが、諸事情により同居していなかったということもあり、私には肌に感ずるような記憶はありません。
また、師父の母(小山田トク・昭和九年逝去・四十八歳)については私の生まれる前に逝去しておりますので当然ながら分かりません。師父の母は婿取りで(夫は正次郎・性は吉田で京都出身・大正三年二月逝去・三十八歳)ただ、師父の祖母(小山田トヨ・母親の実母)は長生きし、昭和三十二年十二月に現在地の新築前の法永寺で、行年八十七歳で逝去しました。その時、私は中学三年生でしたからよく記憶にあります。私の曽祖母は、ものの出来る厳しい方で、母も苦労したと思いますが、私たち曽孫には優しい人でした。晩年には寝たきりになり、看病する母は大変であったろうと思います。
樋口鳳淳上人は、弘前市出身で、函館市実行寺の執事長だったということですが、実行寺の仲介で、師父の母と結婚し、昭和六年に法永寺に入山しました。もう少し調べたいのですが、今のところ詳細は分かりません。また、三十一世(妙心院日芳上人)についても詳細は分かりませんが、できる限り調べ、後日法永寺史で述べたいと思います。
ただの八十年か一〇〇年前のことで、手の届くところにある訳ですが、記録がないことには調べようがありません。記録の大切さが身に沁みて感じられます。ある郷土史家が言ったことですが歴史を書くには、「自分に一番近いところ、自分が記憶しているところ、親戚知人が記憶しているところから、書き始めた方が良い。」と。本筋から多少ずれることがあるかもしれませんが、それも私の記憶にあることを優先するということでご理解下さい。時々は余談に走りながら、また同じことを繰り返しながら、ゆっくりと記述して行きたいと思いますので、まるで痴呆にでもなったのかと疑われるかも知れませんがご海容下さいまして、今後ともよろしくご愛読お願い申し上げます。
